きりんの散歩

趣味は美術館めぐり。生息地は福岡。遠くまで行くこともあります。アイコンは我が家のモネちゃん。twitter:@kirin11_04

Lifetimeの訳し方+@長崎と広島

 

大地の芸術祭に行ったことは、今のところ私の走馬灯に出てくる過去のひとつとして挙げられる。特に好きだった作品が「最後の教室」だ。廃校を舞台に教室や廊下などを使って、薄暗いなかに光が散りばめられている。幻想的な空間は人の気配はするのに孤独で寂しかった。作者はクリスチャン・ボルタンスキーとジャン・カルマン。

 

今日から長崎でそのクリスチャン・ボルタンスキーの回顧展が始まった。展示は国立国際美術館(大阪)、国立新美術館(東京)と国立の大都会を巡回しての終着点が長崎県美術館。なんでこの順番なのか。打順はそれでいいんですか、監督。国立国際美術館はまだ行ったことないけど、きっとめちゃくちゃ展示室広いに決まっていて、きっとよくありがちな九州に来たら大幅に作品数削減されて出涸らしみたいにつまんなくなるやつか?と、楽しみと不安が半分半分な気持ちで行ってみた。結果、とっても楽しかった!(※他には行ってないので比較でなく当社比)

 

今日からなのでオープニングセレモニーやらアーティストトークやらがあったが、突破的に行ったのと道を間違えたためボルタンスキー本人は見れなかった…。が、まず美術館の外見からいい。巡回中に写真OKな作品はバッシバシにSNSに流れていたので何となくは知っていたが、隣のだだっ広い駐車場から歩いていると展示室の窓から大きなガーゼ的な布に写真が印刷された「スピリット」が見えている。やはり2階展示室でやるんだと、期待感が高まる。いま思うと長崎県美術館は入り口のインフォメーション上に今期展示のタイトルをスケスケ垂れ幕にするのだが、あれと親和していた。

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2階に行く。入り口の特徴的な裸電球がアイコンとなっている。

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そして号外新聞のような目録をもらう。デカイぞガサガサするぞと戸惑うも、その大きさがポスターみたいでかっこいい。この裏表紙の会場マップは改編前とのことで、新会場マップもついている。入ってボルタンスキーの仕事場動画が流れている。犬派なのかとか、お腹とお胸がふくよかなのか、とかとかとか。この時点で「最後の教室」で聴いた心音が響いていて、新潟を思い出して懐かしい気持ちが湧いてくる。ちょっと進むとぐるぐる死神が回っていたり、ボルタンスキーの写真が投影されたカーテンに濾されて投影機の光が細い放射線を描いていたり、その投影された自画像越しに心音と光が共鳴してぴかぴかしてる。うわー、あそこに大地の芸術祭がある!自画像を真っ二つに割って踏み込むと気分は新潟。そして「心臓音」の隣に「影」。まさかの最後の教室展示作品を隣り合わせるとは。しかも影の小窓の感じが、正しく、あの時の、というシルエットで感動した。私の脳内回想のような空間だった。良き良き良き良き…。


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写真:2018年9月「最後の教室」大地の芸術祭

 

大体の美術展示はクラシック音楽聴きながらが似合うのだけど、今回は賛美歌かパイプオルガンを聴きながら歩くのが似合うかのような「モニュメント」などモノクロ写真が続く。祭壇っぽい配置だけど、あの電球感とか黒縁の写真とか仏壇にみえた。念仏もBGM似合う、たぶん。奥の部屋に着くとこんなお部屋。

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あいちトリエンナーレのボランティアガイドで学んだことは、じっくり観察すること、色んな意見をとりあえず出してみること、っていうのを「黄金の海」の電球ブランコを見てふと思い出した。まだ消えてない電球たち、同じような角度の子どもたち、なぜスイス人なのか、真ん中のチャイナ服と隠れたチャイナ服、大人の冬服のみの壁、採用されたエマージェンシーブランケット…。ひとりでぐるぐる回りながら考える。正解がわからなくても、見つけたこと自体が楽しかった。

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次はぼた山!しばらく開けていないタンスの匂いが充満している。このぼた山にもタグは出ていないだろうか…歩いていると「発言する」のスポットライトを浴びて、反応されて、こっちもおっ!と反応する。あっちこっちに養殖マグロの生け簀かメッカ巡礼かの如く何周も回って、ウロウロして、声に耳を傾けてた。特にぎゅっとなったのは『教えて、祈ったの?』。長崎という土地に祈りという単語は想いを馳せさせる跳躍力が抜群だった。更に風鈴の音も聞こえるものだから、夏を振り返る条件も揃っている。3週目から初見の人がどうやって「発言する」に接するのか、という観覧者モニタリングの楽しみも見つけた。私とまっっったく同じ反応したおじちゃんがいて、友達のように握手したかった。わかる、わかるよ。観覧者で思い出したけど、「黄金の海」は観てる人を見るか、振り返ったら面白い。

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展示室最後は左に「アニミタス(白)」、右に「アニミタス(チリ)」。風鈴の音はここからしていた。この草はどうやって持ってきたんだろ。砂漠を背景にドライフラワーが咲いていた。

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一旦出ると、常設室方面へ移動する。ボルタンスキー展前の廊下も展示が続いているので、世界線動線も途切れることなくひたひたのまま「ミステリオス」へ。美術手帖のインタビューで言ってた作品だ!

ボルタンスキー、「アート」と「アーティスト」のあるべき姿について語る|美術手帖

このボルタンスキー製のクジラの声は、真裏の常設展の陶磁器の部屋まで響いていたので、余韻が学習される。

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当日限り再入場可能なので3回くらいおかわりした。発見したチャイナ服と割れたボタン。


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番外編

広島市現代美術館【インポッシブル・アーキテクチャー もうひとつの建築史】も行ったんだけど、24時間以上寝てなかったのでキャプションの情報量過多で目が上滑りしてしまった。それでも、ザハの案がもう建てるだけくらい出来上がってたのに頓挫してしまって、ザハも亡くなってしまって、残されたのは寸前で終わった分厚い分厚い分厚いとっても重たい資料たちでそこだけ資料が細かくて無念って気持ちになった。あと浅野氏広島城入城400年記念事業の鯉はおよぐって展示で、オーギカナエ「スマイル」はドドーンと鎮座して目立ってた。この日はちょうど常設展してなかったから死角のところに大好きな平野薫作品があって、危うく帰りかけてた…危なかったぜ。

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追伸

会えたね。

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