きりんの散歩

趣味は美術館めぐり。生息地は福岡。遠くまで行くこともあります。アイコンは我が家のモネちゃん。twitter:@kirin11_04

誕生日にはケーキを捧げよう

 

実家には謎の黒い虫とキラキラヒカル虫がわいてきていて、自称ノイローゼの母から帰省禁止を言い渡された。

 

今年は祝うひとがいない。誕生日、バレンタインデー、クリスマス、三大きっかけデーに恋ならず身近な友人や家族さえも居ないのは日頃の惰性を重ねてきた結果だといえる。

 

今年は自分が主催して遊ぼうぜ!も、誰かの遊ぼうぜ!にも取り組む気力が圧倒的に減少していた。理由はとうに分かりきっていて、なぜならば立て続けにつくった親友が本州に行ってしまったからだ(まだ言うのかって自分でも思う)。過ごした日々はとても楽しくて大好きなひとたちだった。だからかなり満足してしまった。もうそこまで親友という枠を一から形成していくエネルギーに時間を費やすより、すごく甘えていたあの美しすぎる日々を思い出して苛まれているほうが楽だ。最近読んだマインドフルネスの本に書いていた『認知的フュージョン』の概念そのままだ。あえて脱フュージョンなんてするものか。

 

来てしまった29回目の誕生日。昔から歳をとるのは嫌いだ。厳密には13歳から嫌いだ。わたしの中で年齢のカウントが刻まれないようにピーターパンが魔法をかけてつづけていると、114日にいつもいつも知ってまた落胆している。

 

この前、センター長と3回目の直談判をした。議題は連続して『先輩つらい、もう話せない、遠ざかりたい、できれば仕事辞めたい』である。歳をとれば楽になると言われても、つらくてきついのは今なんだ。それに歳をとってもアイツとの差が縮まるわけではない。結局まだ我慢できるかもと望みを託した事務室にいるのはしんどいから営業をさせてくれ外に出させろという申請は通った。「キドさんは真面目でキッチリしたひとに目がついてしまう。結果を出すから尚更に」わたしはなんでもできる、割と器用だという自分を発見してからは簡単だった。緊張もしないし打ち合わせもそこそこに適当にしても一回目で70点出せるタイプだ。ヘラヘラしてるから、いつもキッチリしていて気が強いひとに当たられる。保育園のときからずっといじめられてきた。だから13歳のときに過敏性腸症候群になってパニック発作になって広場恐怖症になってただでさえ半分ちょっとしか行けてない学校を完全に諦めてしまうしかなくて引きこもりになったのだろう。なんてひとの心は脆弱なんだろうか。もう壊れたくないよ、パトラッシュ。限界が近いと想像するだけでも、イマジナリーフレンドを召喚してしまう。パトラッシュはいざとなれば寄り添ったまま一緒に冷たくなってくれる。

 

収益があるからと誕生日ボーナス制度が今年から復活した。センター長は「大人になるってことだよ」と渡してきたけど、13歳で心が止まっているからよくわからない。こんなに大きくなるつもりじゃなかったんだもん。経験と知恵だけが育って、心は新築の実家の自室の天井をみつめたままだ。どうやっても面倒で憂鬱で希死念慮な時間に巻き戻る。たまに元気なときは外に心を傾けたくなって交友関係をつくって、恵まれた出逢いに辿り着くこともある。それが奇跡だと知っているからすぐに満足してしまう。奇跡のカケラを時折みつめていたら、ここまで生きながらえてしまった。遠かった。はやく天竺にいきたい。

 

出勤経路にあるケーキ屋さんでホールケーキを買った。最近はどうせ早く寝れないしラジオも音楽も聴けなくなったからとダブルワークのバイトをはじめた。終わってから深夜のごはん。わざわざろうそくを立てて火をつける。自分におめでとうは絶対に言いたくないね。社会的にみたら29歳のわたしは、また13歳のネバーランドにいるわたしから遠ざかっていく。葬られるわたしへのお供えとして、誕生日にはケーキを捧げよう。吹き消したろうそくから線香のような煙がのぼった。